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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)8701号 判決 1962年12月25日

原告 閉鎖機関日本肥料株式会社 外一名

被告 国際民鍾社こと劉勝光 外三名

主文

各原告の請求は全部これを棄却する。

原告等の参加以降に生じた訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告(旧第一主参加人)閉鎖機関日本肥料株式会社は「被告劉勝光と同原告との間に東京都中野区打越町二十八番地所在家屋番号同町二百九十一番の二、木造瓦葺二階建共同住宅一棟建坪九十坪九合、二階九十坪五合が同原告の所有に属することを確定する。被告劉勝光は同原告に対し、右建物につき昭和二十二年十一月二十日東京法務局中野出張所受付登記番号第三六五号の表示欄以下全部の登記の抹消登記手続をなせ。被告南啓喜、同橋爪勝美、同児玉広茂は同原告に対し前示建物より退去して、建物を明渡せ。訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)  原告(旧第一主参加人、以下第一原告と仮称する。)は昭和二十一年九月三十日請求の趣旨に掲記の建物を、当時の所有者訴外株式会社小崎組(以下単に小崎組と略称する。)より買受けその所有権を取得した。

(二)  ところが被告劉勝光は右建物は同被告の所有に属するものであると称し、昭和二十二年十一月二十日東京法務局中野出張所受附第一七七九三号を以て同被告のための所有権登記を経由したため請求の趣旨記載の登記番号第三六五号の表示欄以下の登記簿の記載を見るに至つたばかりでなく、

(三)  同被告は右建物所有者であるとして、その所有権に基き昭和二十六年六月十八日、当時、右建物の一部に居住していた被告南啓喜、同橋爪勝美、同児玉広茂等を相手取り、東京地方裁判所に建物明渡並びに建物占拠による損害賠償請求の訴を提起した。(同裁判所昭和二十六年(ワ)第三四八一号家屋明渡請求事件であるが、その後その訴は一部和解、その他は取下により終了した。)

(四)  しかしながら前示建物の所有権は第一原告にあり、被告劉にはないのであるから、同被告との間に右所有権が同原告にあることの確定を求め、且つ同被告に対し同人のためになされた前述(二)の登記の抹消登記手続を求めるものである。

(五)  被告南啓喜、同橋爪勝美、同児玉広茂は請求の趣旨に掲げられた建物の一部にそれぞれ居住し、以て第一原告に対抗できる正当の権原もないのに右建物に占拠している。

(六)  そこで、第一原告は建物所有権に基き、同被告等に対し、右建物より退去して、その建物を明渡すべきことを求める次第であると述べた。<立証省略>

原告(旧第二主参加人)村田栄男の訴訟代理人は「被告等と同原告との間に東京都中野区打越町二十八番地所在、家屋番号同町二百九十一番の二、木造瓦葺二階建共同住宅一棟建坪九十一坪九合一勺、二階八十九坪七合が同原告の所有に属することを確定する。被告劉勝光は同原告に対し、右建物につき昭和二十二年十一月二十日東京法務局中野出張所受付登記番号第三六五号の表示欄以下全部の登記の抹消登記手続をなせ。被告南啓喜は前示建物の第十四号室より、被告橋爪勝美は同建物の第十一号室より、被告児玉広茂は同建物の第二号室より退去して、右各室をそれぞれ同原告に明渡せ。訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並びに、各室の明渡を命ずる部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

(1)  請求の趣旨に掲げられた建物は、昭和十七年八月三十一日訴外株式会社村田組(以下単に村田組と略称する)が訴外小西満次郎の注文によりその建築工事を請負い、施工したものであるが、請負当時、建築資材は配給制となつていたので、村田組は手持資材と自分で配給を受けた資材とにより工事を進めていたが、戦況の進展と共に資材労務を建築に使用することについて制限を受け、他方小西は分割払の約定工事代金を支払わなかつたので、村田組は未完成建物を解体してその資材を他に転用して工事施行による損害の填補を策するに至り、小西との間に紛争を生じ、一旦(裁判外の)和解が成立したけれども、その和解も履行されずに終つた。しかし、すでに述べたように、建物は元来村田組がその所有の建築資材を投じて建築したもので、注文者の小西には、まだ引渡してないのであるから、その所有権は請負人の手に保留されており、昭和二十一年六月六日村田組において、その建物につき所有権保存登記を経由した上、同日訴外中村留吉に所有権が譲渡され、更に中村より原告村田栄男(以下第二原告と仮称する)に所有権が譲渡され、同年七月三十一日同原告のための所有権取得登記が経由された。

(2)  ところが被告劉勝光は右建物は同人の所有に属するものであると称し、前示第二原告のための登記を無視し、第一原告主張の(二)の如く、請求の趣旨に掲げた同被告のための所有権登記を経由し、又第一原告主張の(三)の訴を提起した。

(3)  しかしながら、建物の所有権は第二原告にあり、被告劉にはないのであるから、第一原告主張の(三)の訴(東京地方裁判所昭和二十六年(ワ)第三四八一号事件)の当事者である全被告に対する関係において請求の趣旨記載の建物の所有権が第二原告にあることの確定を求め、且つ被告劉に対し同人のためになされた請求の趣旨記載の登記の全面的抹消を求めるものである。

(4)  被告南啓喜、同橋爪勝美、同児玉広茂は請求の趣旨に退去を求められた建物の各室にそれぞれ居住し、以て第二原告に対抗できる正当の権原もないのに右建物に占拠している。

(5)  そこで第二原告は建物所有権に基き、同被告等に対し、それぞれその居住する各室より退去してその建物を明渡すべきことを求める次第である。

と述べ、なお請求の原因(1) についての被告劉の答弁の第四段に述べられた昭和二十二年十一月五日の和解に関しては、村田万一郎は第二原告の法定代理人として関与したものではなく、村田組代表者としてのみ和解の当事者となつたものであるから、右和解による約定は第二原告に効力を及ぼすのではないばかりでなく、仮に村田万一郎が第二原告の法定代理人としての資格で和解をしたものとしても、被告劉は和解条項に定められた二十万円の支払をなす意思が、当初からないのに、その意思があるものの如く申向けたため、村田万一郎は同被告に支払う意思があると誤信して和解契約を応諾したものであり、右二十万円支払意思の存在は和解の要素であつたのであるから、結局村田万一郎としては、和解契約の要素に錯誤があつたこととなり、和解は無効である。

右主張が理由がないとしても、上叙和解には、「本件係争建物は将来第三国人以外のものには使用させないこと、若し右約定に反したときは和解は当然に解除されたものとすること」という解除条件が附されていたところ、その後右建物は現に日本人に使用させているので、和解は解除条件の成就により解除となつた。されば、何れにしても、被告劉は係争建物の所有権者ではないから、たとえ、第二原告の右建物取得登記に欠缺があつたとしても、その登記の欠缺につき対抗の能否を云為できる正当な利益を有するものではない。

と述べた。<立証省略>

被告(旧原告)劉勝光の訴訟代理人は

第一原告の訴に対する答弁として「第一原告の請求を棄却する」との判決を求め、同原告が請求原因として主張する事実につき(一)は否認する。

本件係争建物は昭和十七年八月三十一日訴外株式会社村田組(以下単に村田組と略称する。)が、訴外小西満次郎の注文により、その建築工事を請負い施行したものであるが、その工事が予定どおり進捗しないので、村田組と小西との間で、昭和十八年三月右工事請負契約を合意解約し、残工事のうちトタン工事、ペンキ塗並びに瓦工事のみを、村田組において、小西より工事資材の供給を受けて、施行し、その余の工事は小西において完成するという約定が成立し、その際小西は村田組より未完成のまま、工事中の建物の引渡を受け、その所有権を取得した。

もつとも右建物はその後、小西並びに後述の訴外株式会社小崎組(以下単に小崎組と略称する。)の手により完成を見るに至つたのである。

昭和二十年十二月五日小西は未完成の建物を、訴外留岡敏に売渡し、留岡は更に小崎組との間に昭和二十一年三月頃右建物を小崎組に売却するという売買契約を結んだが、小崎組は売買代金を支払わなかつたので、留岡はその支払を小崎組に催告したところ、催告に指示した支払期間が徒過されたため昭和二十二年七月一日留岡と小崎組との間の前示売買契約は解除された。従つて小崎組はこの間、建物の未完成部分を完成する工事はしたけれども、建物を取得した事実はなく、小崎組から係争建物を買受けたと称する第一原告が建物所有権を取得するに、その由もないわけである。

しかも被告劉勝光は昭和二十二年七月三日右建物を留岡より買受けてその所有権を取得し、同年十一月二十日その取得登記を経由しているのである(登記面上の同被告の表示は当初は国際民鐘社となつているのが、右は誤りであるから同一登記番号で劉鐘光に訂正した。)から、仮に小崎組が売買契約により留岡から建物の譲渡を受け、更に第一原告主張のように、同原告が小崎組からその建物を買受けたものとしても、小崎組乃至第一原告のための建物所有権取得登記はないので、その所有権取得を以て被告劉に対抗できない。(二)の事実は認めるが、(一)について答弁したところにより第一原告の請求には応じられない。

と述べ、

第二原告の訴に対する答弁として「第二原告の請求を棄却する」との判決を求め、同原告の請求原因として主張する事実につき、

(1)については、第二原告主張の建物は昭和十七年八月三十一日村田組が小西満次郎の注文によりその建築工事を請負い施工したものであることは認めるが、その後の経緯は、第一原告主張(一)について、すでに答弁したとおりであり、昭和十八年三月、工事中の未完成建物を、小西において村田組より引渡を受けてその所有権を取得した関係にあるので、右建物の当初の所有者は村田組であつたとしても、右事実により村田組は建物所有者ではなくなつたのであるから、その後昭和二十一年に至り、村田組から中村留吉を経て第二原告が建物所有権を譲受けることはできないばかりでなく

仮に、建物所有権が請負人村田組の手に保留されていたとしても、その所有権が村田組より中村留吉を経て第二原告へと順次譲渡されたように登記簿上装つているが、右は村田組の所有名義にして置くと、当時日本の終戦後、間もない社会に、無法の勢威を振つていたいわゆる第三国人から村田組の代表者等が脅迫される気配があつたので、村田組より順次建物を譲渡したもののように見せかけ、最後に、当時刑務所内にいて、一般社会から隔離されていた第二原告の所有名義としたにすぎず、つまるところ第三国人の脅迫を避ける手段として譲渡を仮装したものであつて、第二原告が真実所有者となつたものではない。

しかも被告劉は第一原告の(一)の主張についての答弁で述べたように、本件係争建物を留岡より買受けその所有権を取得し、取得登記も経由している。

もつとも、本件各原告の主張並に被告劉の主張からしても容易に推知るように、係争建物の所有権の帰属をめぐつて、関係者間に紛争を生じていたが、昭和二十二年十一月五日、小西、留岡、小崎組代表者小崎春記、村田組の代表者で且つ第二原告の法定代理人である村田万一郎並びに被告劉相互の間に右紛争解決のための和解(裁判外)が成立し、その和解において建物所有権者を被告劉とすることを承認し、同被告は村田組に対し金二十万円を支払うことが約定されたので、仮に従前被告劉の建物所有権取得の効力に問題があつたとしても、右和解により、建物は被告劉の所有に帰属しているものである。

なお、第二原告主張の(1) のうち、同原告主張の村田組のための所有権保存登記、中村留吉並びに同原告のための所有権取得登記が、本件係争建物につき経由されていることは認めるが、右各登記のうち、村田組のための保存登記は、登記申請書に添附すべき、登記権利を証明する書面、建物敷地の地主の承諾書等の書面を添附せずになされた登記申請に基く登記で、違法な申請手続に基く違法の登記で、登記として無効のものであり、この無効の登記を基にしてなされた第二原告の所有権取得登記も無効であり、登記のない場合と同様であるから、右登記の欠缺を主張するについて正当の利益をもつている被告劉に対しては、仮に係争建物の所有権を第二原告が取得していても、その取得を対抗できないわけである。(もつとも、その後村田組保存登記によつて、起こされた登記については、その登記簿が錯誤によるものとして登記用紙が閉鎖された。)

(2)の事実は認めるが、(1) について前述した答弁事実よりして第二原告の請求にも応ずる義務はない。

と述べた。<立証省略>

被告(旧被告)南、橋爪、児玉の訴訟代理人は、第一原告、第二原告の各訴につき、何れも各原告の請求を棄却するとの判決を求め、

第一原告主張の(一)のうち、同原告がその主張の建物の所有者であることは否認する。同原告の建物取得の経緯は不知。

(五)のうち、建物占拠につき正当の権原がないとの点を除いたその余の事実は認める。

第二原告主張の(1) のうち同原告が、その主張の建物の所有権を取得しているとの点は否認する。その余の点は不知。

(4) のうち各室占拠について被告等に正当の権原がないとの点を除いたその余の事実は認める。

と述べた。<立証省略>

理由

第一原告の請求の趣旨に掲げられた建物と、第二原告の請求の趣旨に掲げられた建物とは、その所在地番、家屋番号が同一であり、その建物の種類、構造もほぼ同一で、坪数において僅か一坪前後の表示の差があるけれども、本件弁論の全趣旨からしても、同一の建物であることは明である。

ところで本件は第一原告対被告等間の訴訟(昭和二十七年(ワ)第六四一四号事件)と第二原告対被告等間の訴訟(昭和二十七年(ワ)第八七〇一号事件)とが併合審理されたものであり、第一原告と第二原告との間には直接対立する訴訟関係はないし、(この両者間には別訴昭和二十二年(ワ)第二七六号事件、同年(ワ)第二五八〇号事件がある。)前示二個の訴訟は元来被告劉がその余の被告等を相手取つて起した訴訟(昭和二十六年(ワ)第三四八一号事件)の係属中、第一原告第二原告がそれぞれ各別に民事訴訟法第六十条の規定による主参加訴訟を起したことに由来ししかも被告等間の訴(昭和二十六年(ワ)第三四八一号事件)が取下げられたため、主参加訴訟二個が残存係属している関係にあり、この二個の訴訟は本来固有の必要的共同訴訟ではなく、また民事訴訟法第七十一条の参加訴訟の如く、裁判所は必ずしも、併合審理を義務づけられているものでもないが、本件の場合においては、訴訟の内容よりして、右法条と同一の目的を達成するため主参加訴訟をしたものであり、結局被告等に対する関係において、原告等各自が、係争同一建物の所有権者であるかどうかを確定する結果となるので、訴訟の目的が訴訟当事者である第一原告、第二原告並びに全被告(これを一当事者の地位と見て)の三者間に合一に確定することを要する類似必要的共同訴訟関係(裁判所が併合審理をする限り)に立つものとして第七十一条の当事者参加訴訟の場合と同様第六十二条の準用があるものと解するのが相当である。

以上のように考えると、証拠も共通性を有するものとなるのであるが、被告等において成立を認める丙第五号証、丁第二十号証(第一原告、第二原告については、相互に提出した右文書につき認否をしていないが、その方式並に趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正に成立したものと推定される)の一部証人村田万一郎の証言(第二回)並びに同証言により真正に成立したと認められる丁第一号証を綜合すれば、本件係争建物は昭和十七年八月三十一日村田組(代表者は村田万一郎)が小西満次郎より請負代金七万余円昭和十八年五月末日までに完成の約定で、その建築を請負い、村田組は自分の資財(手持資材その他)で工事を開始し昭和十七年十一月頃上陳式を済ませ、その後屋根、荒壁の工事を終了したが、これより先き昭和十七年十月頃より戦争の影響を受け物資統制等が次第に強化され工事の続行が困難となり一時工事を中止するの余儀ないことになり、村田組と小西との間に、協議の結果、昭和十八年三月頃残工事のうち主体工事のみを従来どおり村田組が施行し、左官工事、畳建具工事、電気水道工事等、工事費三万余円に相当する雑工事は小西において分担施行することに請負契約の一部を変更したが、当時工事は大工工事は殆んど完成に近く、最早大工の手を離れる程度になつていたけれども、戦局の進展により資材の入手は困難の度を加え、工事の進行は思うに委せず、かくて、村田組と小西との間に工事についての紛争を招来するに至つたが、村田組が右紛争解決のため依頼した弁護士訴外三浦光夫の斡旋により村田組は前述のその負担に属する工事を向後四十五日間に完成すること。村田組がこれまでに小西より受領している分割払工事代金並びに小西がその分担工事について支出した工事費は村田組から小西に支払い、建物の所有権は村田組に確保させるという趣旨の解決策が村田組と小西との間に一応契約されたところ、その後村田組も小西も共にその分担した工事を予定どおり進めることができず、両者間の紛争も落着せず、小西は村田組を相手取り裁判所に調停申立をしたが調停も成立するまでには至らなかつたことが認められる。丙第五号証、丁第二十号証の各供述調書の記載内容中右認定に反する部分は信用ができないし、他に右認定を左右できる証拠はない。

以上の認定事実からすれば、係争建物は昭和十八年三月の請負契約変更当時、所有権の目的となり得る程度の建物となつていたもので、その工事資材は村田組所有のものであつたのであるから、他に特段の契約その他の事情を認めるに足りる証拠のない本件では、建物は村田組の所有に属し、村田組が原始的所有権を取得していたものであり、その後の解決策によるも、右所有権が小西に移転したものと解することはできないのである。甲第八号証の一、二はその成立の真正を認め得るにしても、建物建築工事の注文主が、建築許可申請の名義人となることは当然であり、建築工事中の建物所有権が、工事の注文者と請負人との間の何れにあるかについての的確な証拠とは云えないので、右文書の存在は前示判定と相容れないものではない。

もつとも前掲丙第五号証の記載内容中には、小西満次郎の供述として請求契約変更の際、村田組より未完成建物の引渡を受けた旨の記載があるので、右引渡による所有権の移転を招来したこととなり得るわけであるが、右供述記載部分は前掲丁第二十号証の記載に照しても到底信用の措けるものではないのである。

してみれば、本件係争建物の所有者が村田組ではなくて、小崎組であることを前提とし、これより所有権を譲受けたと主張するのみで、小崎組が所有権者であつたことの証拠のない本件では(被告劉の主張よりすれば小崎組が所有権者であるとの見解は、本件建物の所有権が小西満次郎より留岡敏を経て小崎組に順次移転されたというにあるもののようであるが、その見解はさて置き)第一原告が本件係争建物の所有権者であることは、これを認めるに由なく、従つてその所有権の存在を前提とする本件請求は全部失当として棄却を免れない。

次に第二原告の請求についてしらべてみると、同原告は本件係争建物が、村田組から訴外中村留吉を経て同原告え順次譲渡され、これによつて同原告が右建物の所有者となつた旨主張するものであるところ、建物の原始的取得者が村田組であることはすでに判示したとおりであるし、又登記簿上(この登記は被告劉の主張によれば、錯誤によるものとし登記用紙が閉鎖されたとのことであるが、この点は兎もあれ。)建物の所有名義者が村田組より中村留吉を経て第二原告えと順次移転していることは被告劉の認めるところであり、その余の被告等に対する関係においても成立に争のない丁第十一号証の一によるも第二原告が建物所有名義者となつていることが認められるので、一応は、第二原告が登記簿の記載のように建物の所有権を村田組から伝来的に取得したもののように推定されるわけであるが、証人村田万一郎の証言(第二回)並びに被告等において成立を認める丁第二十号証によれば、すでに述べたように係争建物は村田組の所有に属していたが、小西満次郎より右建物についての工事を請負つたと称する小崎組より村田組の代表者村田万一郎に対し右建物について施工方の承諾を求めて来たので万一郎はこれを拒絶していたところ、当時戦後の日本社会において暴威を振うものとして一般に怖れられていた、いわゆる第三国人を名乗る者等が万一郎に対し、その身体、生命に危害をも加えかねない気勢を示し、「お前は小崎組の建物を奪つて、売つたそうだが殺してやる」などと脅迫されたので、その脅迫を避ける手段として建物所有名義のみを村田組から当初中村留吉に移したが、当時万一郎の息子の第二原告が刑務所に入所中であつたので、脅迫される虞れのない第二原告の所有名義としたに止まり、第二原告が真実、係争建物を譲受けたものではないこと認めるに十分である。

してみれば、第二原告が真実本件建物の所有権の取得者であることを前提とする同原告の被告等に対する本訴請求も失当であり、棄却すべきものである。

よつて、訴訟費用(但し第一原告、第二原告の参加訴訟提起以後に生じたもの)の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 毛利野富治郎 小河八十次 大内淑子)

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